何かと話題のペースメーカー。まともなランナーをしていた10年ほど前、私もその大役を仰せつかったことがあり、思い出すだけでも胃がキリキリと痛みます。
ペースランナーを務めたのは「ぎふ清流ハーフマラソン」で、担当タイムは3時間。キロ8kmぐらいのペースです。
「キロ8ペースなら余裕じゃないか」と感じるかもしれませんが、制限時間も3時間でした。
つまり、関門をけっこうギリギリで通過する必要があり、1秒でも遅れたらその時点で私を信じて付いてきてくれた選手全員失格。即アウト!になるのです。
かといってペースを上げたらペースメーカーの意味がありません。ある程度の余裕を残しつつも、早すぎないペースを刻むことの難しさを痛感しました。
プレッシャーなのか、関門が近くなると無意識にペースが上がります。これが制限3時間のうちの2時間半ペースメーカーだったら、できる限り正確に刻むことだけに集中すれば済みますが、制限時間ペースはどこまで余裕を持たせるかの兼ね合いがとても難しかった記憶があります。
ペースメーカーを担当して嬉しかったのは、みんなでゴールした瞬間。走っているうちにグループが形成され、「みんなで完走しよう」という仲間意識が生まれるのです。
ただゴール後、あるランナーの方から「けっこう上げ下げありましたね」とチクリ・・・。ごめんなさいと謝るしかありませんでした。
東京マラソンでは世界記録ペース、方やハーフ3時間のキロ8ペース。同じペースメーカーでもミジンコとクジラぐらいの差ですが、「初めて完走できました。ありがとう!」と握手してくださったランナーの笑顔は忘れられません。