2010「名古屋シティマラソン」。

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2010名古屋シティマラソンを体験取材してきました。事前の週間天気予報では「雨中レース」を覚悟しましたが、雨の日が1日ずれてくれたため当日は絶好のマラソン日和となりました。 

一般ハーフの部は10時10分スタート。それまでの時間はみなさんとおしゃべりしたりおやつを食べたり、楽しくまったり過ごしました。やがて号砲の20分ほど前、スタート待機場所へと移動。

 

スターティングエリアは申告タイム順にエリア指定されているんですが、相変わらず無視する選手だらけ。長野や東京でこんな状態になることはまずあり得ません。マナーの悪さに、ナゴヤランナーとしてなんだか恥ずかしくなってしまいました。

 

序盤の大混雑を引き起こす一因になっているのではないでしょうか。 さて、私たちのスタートの10分前には名古屋シティマラソンと同時開催、というかメインの「名古屋ハーフマラソン(公認ハーフ)」がスタートしました。シティマラソンとはコースも異なる別物であり、世界レベルのエリート選手の走りを間近で見られる楽しみがあります。

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今年はつい先ごろ「ユティック」に入社した大南姉妹が出場するということで、待機エリアの最前列に陣取ってカメラを構えました。下の写真右端が大南博美選手。ナンバー21。双子のお姉さんのほうです。

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妹の敬美選手は練習の一環としての出場。ユニフォームは着ていません。

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大南姉妹を見送ったあと、いよいよ私たち一般ハーフ部門のスタートです。例年どおりカウントダウンなしのいきなりの号砲。序盤の大渋滞は織り込み済みでしたが、今回は「90分切り」という大きな目標があるためやはり焦りました。

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最初の1kmが5分17秒もかかり、設定ペースからいきなり60秒の借金。しかし条件はみんな同じだと気を取り直し、2km以降は4分15秒という設定ペースを守ることに集中しました。 当日の天候は晴れ。気温はやや高かったものの、暑さでパフォーマンスが落ちるほどではありませんでした。

 

ただ、いつになく風が強く、とくに往路の向かい風にはじりじりと体力を奪われました。 桜通りにさしかかると、ほどなくしてトップの選手が反対車線に。ブレブレですがなんとかカメラに収めました。スズキのマサシ選手です。

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折り返してくるエリート選手を眺めながら走ると、気が紛れて一時的に疲れを忘れます。と、大南博美選手の姿が見えたので慌てて激写!大南選手はこのまま順位を変えることなく2位フィニッシュ。DNSしてもおかしくないほど体調不良のなか、よくがんばったと思います。

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名古屋国際女子マラソンでは「魔の関門」となる桜通大津交差点付近。繁華街が間近で走路も広いため、「都市型コース」をもっとも実感できるポイントでもあります。

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やがてラスト6kmぐらいで10km部門の大集団と合流。「待ってました!」とばかりに、次々とランナーを抜いていく快感をかみしめながらフィニッシュまでのカウントダウン体勢に入りました。

 

「90分切り」が絶望的だとわかったのは残り3km地点ぐらい。 「もうダメだ」と心が折れそうになったところでトラブル発生!後ろから走ってきたランナーに思いきりぶつかられ転倒しそうになったのです。

 

しかも謝りもしないで行ってしまうではないですか。「こいつには負けられん!」という思いが沸々とわき上がり、抜き返した勢いそのままに驚異のラストスパート敢行。 13km地点から4分20〜30秒台に落ち込んでいたラップを、残り3kmは4分一桁前後に押し上げてそのまま怒りのフィニッシュ。

 

目標の90分切りには1分少々及びませんでしたが、自己ベストを8秒更新することができました。もしも怒りパワーが発動されなかったら、おそらくフィニッシュタイムは33分ぐらいになっていたかもしれません。

 

その後、久屋大通で高橋監督(元トヨタ車体陸上部監督)と大南姉妹に久しぶりにお会いし、3人の“元同僚”塚野コーチがいらっしゃるランアップへ遊びにいきました。博美選手は風邪のため咳き込んでおり、ちょっと苦しそうでした。あの状態でよく出走を決意したと思います。新たな所属先であるユティックのユニフォームのお披露目レースですから、多少無理をされたのかもしれません(注:右が姉の博美選手、左が妹の敬美選手です)。

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さて、今回で11月開催の「名古屋シティマラソン」は一旦終了します。復活する際にはぜひ、「一般市民ランナー思いの素晴らしいホスピタリティを持つ大会」に生まれ変わってほしいと切に願うばかりです。 選手の皆さま、ボランティアの皆さま、たいへんおつかれさまでした。