24時間テレビ マラソンのゴールシーンに漂う違和感。
今年の24時間テレビのマラソン企画。「ランナーは当日発表」という新たなPR手法で注目を集めています。この企画、以前よりアンチが多く、実はこのアンチによって視聴率が支えられているような気がしないでもありません。個人的には24時間マラソンについて是でも非でもありませんが、毎回ひとつだけ疑問に感じることがあります。
それはフィニッシュ直後のランナーの様子。ゴールしたランナーに「喜び」や「嬉しさ」はあまり感じられず、とにかく悲愴感漂う姿が映し出されるばかり。毎回この瞬間に違和感をおぼえるのです。
賢明な市民ランナーならおわかりのとおり、走っている最中どれだけ苦しくても辛くても、ゴールの瞬間は体の底から「歓喜」が湧き上がってくるもの。いや、苦しければ苦しかったほどその喜びは大きいはずです。
体は満身創痍でも、自然と湧き上がる笑みは隠せません。体はボロボロなのに心はハイな状態。経験ありませんか?
しかし、24時間テレビのマラソンのゴールでは暗黙の掟なのか、いかにも罰ゲームの延長のような「悲愴感」しか感じられないのです。もしかして制作者側は「苦しさ」「辛さ」の度合いが大きいほど「感動」を呼ぶと思い込んでいるのでしょうか。
「ゴールした後にケロッとされたら感動が薄れるから・・・わかってるよね」とか。
いまどきウルトラマラソンは、(準備さえすれば)誰でも走れることが一般の方にもバレています。何ら特別なことではなくなったマラソンを「過酷」で「苦しい」ものに仕立て上げようとする演出は見ていて痛々しいほど。
マラソン=苦行というイメージは、2000年シドニーオリンピックで高橋尚子さんが「とっても楽しい42.195キロでした!」と満面の笑顔で言い放った時点で過去のものになったことを知らないのでしょうか。
しかも現在は各地のウルトラマラソンが定員オーバーになるほどマラソンがレジャーとして一般ランナーにも定着している時代。いいかげん「マラソン=苦行→感動」という演出は古すぎると気づいてほしいものです。
今年は誰が走るのかわかりませんが、ゴール後「完走するのは大変だけど楽しかった〜!マラソンサイコー!」と明るくシメたら全国の市民ランナーが拍手喝采を送るでしょう。