かれこれ20年以上前、ある百貨店のお中元販促用ポスターデザインを受注しました。クライアントから示されたテーマに沿い、いくつか企画案を提出。その中から先方の担当者が選んだのは、国民的唱歌『夏は来ぬ』をモチーフにしたビジュアルプランでした。
夏を感じさせる涼しげな水彩画に、『夏は来ぬ』の歌詞そのものをレイアウトする案。制作の前にまずはリサーチです。
『夏は来ぬ』の作曲者(小山作之助 氏)は当時の段階で逝去後50年以上経過しており、著作権は消滅していました。しかし使用するのはメロディではなく歌詞のほう。
当時はインターネットの黎明期。まだISDNさえ登場していない時代。今ならJASRACの検索サイトでサクッと調べられるけど、当時は調べもののたびにあちこち電話したり図書館へ出向いたり。
まあ、当時はそんな(今考えると)不便な状況だったので、まずはJASRACに電話して『夏は来ぬ』の歌詞について聞いてみました。
すると、作詞者は国文学者で歌人の佐佐木信綱氏で、すでに昭和38年にお亡くなりになっていることが判明。逝去後50年経っておらず、著作権は消失していませんでした。JASRACいわく、「著作権は放棄されていないので、継承者に直接使用許可を取ってほしい」とのこと。
うへー、こりゃ面倒くさくなりそう。しかもJASRACの担当者は、肝心の継承者が誰なのかわからないという。えー、じゃあどうすればいいの!? そんな私の困惑を察したのか、「三重県の鈴鹿市に佐佐木信綱記念館があるのでそこに問い合わせてみては?」というアドバイスをくれました。
さっそく記念館に電話して『夏は来ぬ』の著作権について訊ねてみました。すると、佐佐木信綱記念館は著作権を保有していないとのこと。しかし、継承権を持つ親族が神奈川県に居住していることを教えてくれました。
やっとたどりついた!すぐに教えてもらった連絡先に電話をかけたところ、電話口に出られた方はご高齢の女性で、少々お耳が遠いよう。言葉ははっきりされており、とても上品な印象を受けました。
「夏は来ぬの歌詞を百貨店のお中元ポスターに使わせていただきたいんです」。私が用件を話すと、継承者の方は今ひとつ理解できていないご様子。世間話を交えながら説明すること30分、ようやくわかってくださいました。
結果は、使用してもよいとのお返事。なんでも、このように使用許可を得るため連絡してきたのは私が初めてなのだとか。いままで『夏は来ぬ』を無断で使われる(唱歌集CDなど)ことが多かったけど、誰一人として連絡してきた人はいなかったといいます。メロディーの著作権が消失しているため、歌詞まで気が回らないのかもしれません。
さりげなく謝礼(使用料)についてお伺いをたててみると、案の定「いらない」と。ただ、「できあがったポスターを送ってください。楽しみにしております」とだけおっしゃってくださいましたた。ともあれ、無事に著作権継承者の使用許可をゲット。これで心置きなく制作に取りかかれる。・・・ところが!
『夏は来ぬ』の企画自体が、土壇場でボツになってしまったのです。担当者レベルではOKだったのに、上層部のツルのひと声で企画変更・・・なんてどんな業界でもよくある話ですが、あのときばかりは残念でした。継承者の方の「楽しみにしております」という言葉が頭の中で響きます。本当に心待ちにされていたらどうしよう。
そこで、残念ながら企画がボツになってしまった経緯を記した手紙と、お詫びの菓子折りを送りました。するとその1週間後、継承者の方から返信が届いたのです。ものすごい達筆ですぐには判読できませんでしたが、内容はたしか「気にしなくでください」ということ、送ったお菓子が「大好物」だったことなどが書かれていたと記憶しています。
あれから20数年。継承者の方がまだご存命かどうか定かではありませんが、夏が来るたびによみがえる大切な思い出です。
夏は来ぬ
作詞 佐佐木信綱 作曲 小山作之助
卯の花の 匂う垣根に
時鳥 早も来鳴きて
忍音 もらす 夏は来ぬ
さみだれの そそぐ山田に
賤の女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ
橘の薫るのきばの
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ
楝ちる 川べの宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ
五月やみ 蛍飛びかい
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ