狂喜乱舞でスタートラインを通過する選手たち。私も興奮状態に陥り、スタートラインまでのロスタイムの確認を忘れてしまいました。おそらく1分半~2分ほどだったように思います。この先、走りながら写真を撮っていますのでほとんどピントが合っていません。ご了承ください。
スタート台にいるのは石原都知事と河野洋平日本陸連会長。スターティングゲートをくぐり、いざ、東京の街へ!
目標タイムは3時間30分。1kmを5分弱で刻めば達成できます。「達成できます」なんて偉そうに言ってますが、計画通りに進まないのがマラソンの難しいところ。果たしてどうなることやら。 歩道にはものすごい数のギャラリーが。大声援に押されて、どうしてもペースが上がりがちになってしまいます。
ふだん10kmレースばかり出場しているためか、なかなかキロ5分のペースがつかめません。おさえているつもりでもキロ15秒ぐらいオーバーペースになってしまいます。やはり沿道からの応援が背中を押すのでしょう。
有楽町付近。もうすぐ10km地点です。東京の土地勘がまったくないので、標識がないとどこを走っているのかさっぱりわかりません。
御成門あたりで先導車が!
そのあとTV中継車やらなんやら続々と過ぎていき、ついに12km地点でトップ集団に遭遇。彼らははとっくに品川を折り返し、19km地点に到達しようとしています。シャッターを切るのが早すぎて、白バイがメインになってしまいました。
品川の折り返し(15km)を過ぎる頃には、周りを走っているランナーはだいたい固定されてきます。そしていよいよ中間点、銀座に突入。
対向走路からはまだまだ続々とランナーが走ってきます。中には外国人の方もちらほら。資料によると、今回はアメリカ601人、韓国460人、イギリス263人、ドイツ128人、フランス113人をはじめ、61カ国もの国々から参加者が集まったそうです。
雷門前はものすごい人だかりで、力強い大声援をいただきました。沿道の皆さんやボラティアの方々は、トップ選手でも有名人でもないごく普通の市民ランナーに対しても、分け隔て無く応援してくれました。
浅草寺を過ぎてしばらく進み、東日本橋駅付近で30km地点を迎えます。このあたりのラップはキロ5分15秒ぐらい。ペースをおさえるどころか、徐々に落ち込みが始まってしまいました。
これ以降はなんとかキロ5分20秒以内にとどめようとふんばりました。34kmから35kmのラップは5分25秒。なんとか持ちこたえています。この時点で前半の貯金は使い果たし、プラスマイナスゼロ。もう、3時間30分を切ることは不可能です。
ここで「挽回しよう」なんて愚は犯しません。すぐにフィニッシュタイム設定を3時間35分に切り替え、残りの7kmに挑みました。 が、そこで待ちかまえていたのは東京マラソン最大の難所。写真の前方に見えるのがその佃大橋です。写真では「難所」というほどの坂には見えませんが、グリコーゲンを使い果たしたランナーにとってはアルプスの急峻にも劣らない激坂なのです。
しかし実際に走ってみると、キツイことは確かですが極端にペースが落ち込むことはありませんでした。事前に「佃大橋は難所だ」と聞かされていたため、精神的な準備ができていたのも大きいでしょう。
その後は春海橋、東雲橋と二つのアップダウンを経て、ついにフィニッシュへと向かいます。じつは佃大橋以降の写真はありません。なぜなら肉体的な疲労がピークに達し、撮影している余裕がまったくなくなっていたからです。 39km、40km、41km・・・。この1キロ1キロがじつに長く、途方もない距離に感じられました。
そしてついにフィニッシュまであと100メートル!せめてフィニッシュ地点は写したいと考えていたのですが、前方のタイム表示を見ると3時間32分45秒を示していました。32分台と33分台では響きが違います。
少なくともランナーにとって、この差は大きいのです。 そこで撮影はあきらめ、決死のラストスパートを敢行。タイムは3時間32分台後半(グロスタイム)。もちろん自己ベスト。目標の30分以内はかないませんでしたが、ほぼ作戦通りのレース展開ができました。
東京マラソン2008レポート3「フィニッシュ後」編へ続く。