2011「中日西濃駅伝競走大会」。

seinou0010.jpg

田口福寿杯 第32回 中日西濃駅伝競走大会を実走取材してきました。

これまでリレーマラソンなどのイベント的な大会への出場経験はありますが、競技志向の強い“ガチ”な駅伝競走は初体験。今回は監督も兼ねていただけに、通常のロードレースではけっして感じることのないプレッシャーと緊張感に包まれながらの参戦となりました。 

 

西濃駅伝は、一般ランナーにも門戸が開かれた本格的な駅伝競走大会として、ナゴヤエリアではたいへん貴重な存在。メイン会場は岐阜県大垣市の「浅中公園陸上競技場」。ここには、1週間前にも監督会議で訪れています。

seinou0017.jpg

 

受付でタスキを受け取った後、チーム内で最終ミーティング。休む間もなくそれぞれの中継地点行きのバスに乗り込みました。ズラッと並んだバスはまさに壮観。座席は全席指定です。

bus0001.jpg

 

西濃駅伝の部門は4つ。メンバーに陸連登録者を含む「一般A」、強豪校が揃う「高校」、私たち一般ランナー向けの「一般B」、そして女性のみで構成された「女子」の部です。 一般Aと高校の部が44.1km、女子の部が29.1km、そして私たちが出場した一般Bは、37.4kmを6人でつなぎます。私の担当は2区(3.7km)。この第2区中継所は一般Aの3区、女子の1区(スタート)にあたります。

seinou0013.jpg

 

中継点に到着してからは、ストレッチしたり軽く走ったりして時間をつぶしました。やがて11:30、女子の部のスタートです。第一走者のナンバーが順番に読み上げられ、一人ひとりスタートラインに整列。まるでエリートレースのように本格的で、こちらまで緊張してきました。

seinou003.jpg

 

号砲一下、元気に飛びだしていく女性ランナーたちを拍手でお見送り。つぎはいよいよ私たちの番です。

seinou005.jpg

 

女子の部スタートから十数分後、早くも一般部門のトップチームがタスキリレー。これを皮切りに、次々と走者が中継点に飛び込んできます。近づいてくる走者のチームナンバーを聞き逃すまいと、スピーカーからの係員の声に集中しました。

seinou007.jpg

 

これまでレースでの最短距離は5km。今回はそれよりさらに短い3.7km。心肺がかなりキツくなることは想像できましたので、それを思うとスタート前から吐きそうになりました。 やがて「138番!」と自分のチームナンバーが読み上げられた瞬間、大量のアドレナリンが脳内爆発。タスキを受け取った以降は興奮状態であまり記憶がありません。コースの景色も思い出せないほどです。

 

ひとつだけ憶えているのは、走っているとき喉(気管から肺にかけて)が焼けるように痛かったこと。以前、ある実業団の監督に「スピード練習で追い込みすぎ、呼吸の激しさのあまり喉がやられて血を吐きながら走ることがある」という話を伺ったことあがあります。

 

そのときは「大げさに言っているだけだろう」と思っていました。しかし今回、その意味が少しだけ理解できたような気がします。最初の1kmのラップが、現在の自分の限界値であるキロ3分50秒を大幅に上回る3分30秒。明らかに暴走。呼吸も激しくなるというものです。

 

当日の乾燥した空気(湿度46.7%)も、よけいに気管を刺激したのでしょう。 「多少つっこみすぎても距離が短いからなんとかなるはず」・・・やはりそんな甘い考えは通用しませんでした。結局、2km以降はペースがガタ崩れ。

 

終わってみれば、平均ペースは目標の3分50秒どころか限りなく4分に近い3分台。正直、消化不良です。 それでも、タスキを受ける・渡す瞬間の高揚感は通常の大会ではけっして味わうことができない貴重な体験でした。無事に第3走者にタスキをつないだあと、喉の焼け付くような痛みが治まるのを待って浅中競技場へ戻るバスに乗車。

seinou008.jpg

 

競技場に到着したのは、ちょうどトップの選手がフィニッシュするぐらい。着替えを済ませ、スタンドからゆっくりと観戦することができました。ほどなくして私たちのチームのアンカーが競技場に戻ってきました。みんなでつないだタスキが戻ってきたと思うと感慨深いものがあります。

seinou009.jpg

 

私たちFUNRUN758チームは出場155チーム中58位という結果でした。50位以内という目標は達成することができませんでしたが、たいへん満足しています。西濃駅伝、来年も参加決定です。 競技終了後はFUNRUN758公式クラブハウス「きんさい家」さんで打ち上げ。今回の駅伝メンバー以外の方々も駆けつけてくれて、大いに盛り上がりました。

seinou0015.jpg