ランニングを始める前にアレを捨てよう!

数ヶ月前、「マラソン大会に出てみたい」と走り始めた知人のAさん(40代・男性)。久しぶりに会って調子をたずねたところ、「キツいからやめた」というではありませんか。さらに詳しく訊いてみると、意外な答えがかえってきました。 runhashiru.jpg 走るのが「キツい」ということはつまり、単にペースが早いだけの可能性があります。そこで「ペース上げすぎなのでは?」と聞いてみたところ、案の定、最初から自身の走力以上のオーバーペースで走っているらしいことがわかりました。 Aさんは小・中学校時代はサッカー部、高校・大学時代は野球部に所属する、いわゆる典型的な「体育会系」人間。今でも草野球チームに所属しており、年齢のわりに体も引き締まっています。 まずは「おしゃべりできるぐらいのスピードでゆっくり走ったらどうか」とアドバイスしたのですが、なぜか不満げで納得いかないようす。 どうやらAさんは「苦しい思いをせずに速くなれるはずがない!」と勝手に決めつけているふしがありました。 私たち市民ランナーは、ゆっくり走るだけでも、少なくとも一定レベルの走力は身につけられることを知っています。しかしAさんは根っからの体育会魂が邪魔して、「楽な練習(ゆっくり走る)だけで速くなる」ということが許せなかったのでしょう。 Aさんの気持ち、わからないでもありません。何時間も炎天下のグラウンドを駆け回り、部活中に水を飲む行為が最大の「悪」とされていた時代に青春の日々を過ごした私たちの世代は、ことスポーツに関していえば「ラクして強くなる」なんてことはあり得なかったからです。 スポーツとは自分を追い込むことであり、精神論であり、上下関係であり、汗とカビのにおいである。そんな感覚が心の奥底に刻まれているから、この歳になっても「スポーツ」というと手が抜けない・・・。 こういう種類の人たちは、何十年ぶりに体を動かそうと走り始めても、あの頃の体育会魂がムクムクとよみがえり「ランニングなんて余裕だぜ!」「汗をかいてこそのスポーツだ!」と、知らず知らずのうちペースが上がってしまうのです。 恐い先輩が目を光らせているわけでもないのに、タラタラ走っている自分が許せない。ハッと気づくとゼイゼイ荒い息をたてながら鬼の形相で走っていたり。もちろんある一定以上のタイムを求めるレベルになれば、スピード練習が必要になってくることはいうまでもありませんが。 「ランニング始めてみようかな」と思ったあなた、まずは頭の中の「体育会魂」を捨て去ることから始めてみてはいかがでしょうか。