高知市・南国市にまたがる絶景コースが魅力の「高知龍馬マラソン」を実走取材してきました。地域と一体となったおもてなしは、「これがわずか2回目の大会なのか!」と驚くほど。地元とともに作り上げる「市民マラソン」本来の姿がそこにはありました。
話題を呼びそうなプロモーションで注目を集め、「コンテンツとしての価値を高める」ことを第一義とした大会(当事者レベルではそれが“大会全体の成功”だと錯覚している)も存在する中、高知龍馬マラソンはそれらとは一線を画す「正統派市民マラソン」という印象を持ちました。
主催者の目線が市民ランナーに向いているかどうかは、市民ランナー自身が敏感に感じ取っています。取ってつけたようなホスピタリティを“演出”したところで、“下心”が強い大会は地域(の住民の皆さん)のしらけムードを誘発し、けっして「文化」にはなり得ず一過性のブームに終わるでしょう。
その点、「高知龍馬マラソン」は2回目の開催にして早くも「地域の文化として根づきはじめている」と感じました。 それをもっとも実感したのが「沿道の応援」です。まず途切れない。そして、けっして主催者のお仕着せではなく、みなさんが自発的にそれぞれのスタイルで応援を心から楽しんでいらっしゃる様子が伺えるのです。
イスを持ち出し、ズラッと並んで応援してくれるおばあちゃんたち。お小遣いで買ってきた(?)アメちゃんをランナーに渡そうと懸命な子どもたち。お手製の衣装に身を包み声を張らしながら声援を送ってくれるお姉さんなどなど・・・。
沿道の雰囲気は「いびがわマラソン」や「長野マラソン」に似ていました。いびがわの場合は主催者の熱意(ランナーのために、という想い)が地域に伝わり、官民が手を携えてじっくりと大会を作り上げてきた経緯があります。 長野の場合は「長野オリンピック」開催時に世界中のゲストを迎えた経験からホスピタリティが広く浸透し、市民レベルで「おもてなし慣れ」している様子が感じられます。
高知の場合も同じく、日本で指折りの観光地として年間多くの観光客を迎え入れてきた「おもてなし力」の下地があります。マラソン大会を他人事ではなく「自分たちのコト」と素直に受け入れることが、ごく自然に「がんばって」という声援につながっているような気がしました。 中学生・高校生を中心としたボランティアもすばらしかった。大会当日は日曜日。「遊びに行きたかったのにな〜」と考えていた生徒がいたかもしれません。
しかし全国から訪れたランナーと子どもたちの交流こそが、今後何十年先も「高知龍馬マラソン」が文化としてこの地に定着しているための、もっとも重要なキーになる気がします。
●明日はvol.2「レース」篇をお届けします。