「世界で最も過酷なレース」という表現の違和感。

ランニング関連のニュースを見聞きしていて最近 気になったのが、「世界で最も過酷なレース」という表現。大手報道機関にもかかわらず、ずいぶん浅はかな表現をするものだと驚きました。 desert.jpg そのレースとは以前取り上げたことのある超長距離マラソンのことで、最高気温50℃にも達する216kmのコースを2日間かけて走破するというもの。 たしかに生半可な精神力じゃ完走できないほど「過酷」であることは間違いないのですが、何を基準に「世界で最も」と表現しているのかわかりません。 「世界で最も」と言い切るからには、全世界のあらゆるランニングレースすべての中で「一番」ということになります。そのレースうんぬんではなく、書き手の主観で言い切ってしまうところに浅はかさを感じるのです。 こうした「最も〜」とか「極めて〜」とか「究極の〜」とかいう表現を「大言壮語」と呼びます。私はこれらを(形容詞的に使うことを)「書き手がラクをするために存在する」表現だと思っています。 何をもって最もなのか、極めているのか、究極なのか、そこを説明するのが面倒で、ついつい「大言壮語」に逃げてしまいがち。 これが個人ブログや小さなニュースサイトならまだしも、世界的な報道機関のニュースだったのでちょっと違和感をおぼえました。 たとえば1500m走もフルマラソンも24時間走もUTMFもTJARもバッドウォーターも、それぞれ独自のルールのもとで行われる「まったく異なる競技」であることは明白。 「どれが一番キツいか」なんて議論がまったくのナンセンスであることは、賢明な読者ならおわかりのことでしょう。 「50℃に達する砂漠地帯216kmを走破するレース」とするだけで、じゅうぶん「過酷」さは伝わります。大手報道機関たるものが「世界で最も」なんて無責任な表現を使うのはいかがなものでしょうか。