追悼、小出監督「もし勝ったら監督のおかげですと言え!」。
既報のとおり、マラソン指導者として多くの選手を育てた小出義雄さんが亡くなりました。小出監督(以降、一番しっくりくるこの呼び方で統一)とは直接の面識はありませんでしたが、レース会場や講演会で何度かお見かけしました。本日は追悼記事として私なりの思い出を綴ってみたいと思います。
MGC、そして東京五輪を見届けることなく旅立った小出監督。かつて監督の元で指導者としての経験を積まれた現日本郵政グループ女子陸上部の髙橋監督から、そのお人柄を伺ったり当時の写真を見せていただいたりしていましたので、小出監督に対して勝手に親近感を抱いておりました。
※2000年 シドニーオリンピック(写真提供:高橋監督)
“生監督”を初めてお見かけしたのは2007年の名古屋国際女子マラソン。コース横で自チームの選手を待っている監督を見かけ、さりげなく背後に忍び寄って話を立ち聞き。監督は隣のスタッフに「この暑さだと(トップグループの)ペース速いね〜。落ちてくるよ」というような話をされていました。
2008年の名古屋国際も同じ場所に立っていたので再び背後に接近。このときは何を話されていたかは記憶にありませんが、終始ニコニコしていたのを憶えています。
その後、お見かけする機会はありませんでしたが、2016年にアールビーズの事業発表会で8年ぶりに“再開”。このとき少し体調を崩していたそうですが、楽しそうに話されていたのを思い出します。
この講演会で「女子マラソンでメダルが狙える逸材が1人いる」と断言していたものの、最後まで名前は明かしませんでした。いったい誰のことだったのでしょうか・・・。
質疑応答で男子マラソンに話が及ぶと、「5分台を出せる力を持っている選手はいる。そのうちポンッと出てきますよ」と話されたいました。この2年後、大迫傑選手がボストンで2時間5分台で日本記録更新。小出監督の予言が当たりましたね。
選手たちに「もし勝ったら監督のおかげですと言え」と指示していたという話はいかにも小出監督らしいエピゾードで笑えました。いま思えば、司会の増田明美さんの質問とかみあっていないような場面もあり、少し心配に感じたのも事実。
先月には指導の第一線から退くと発表したばかり。むしろまだ第一線に立っていたんだと、逆に驚きました。それから1ヶ月も経たないうちの訃報・・・謹んでご冥福を祈りいたします。