「
歴史ラン」を愛好するランナーは少なくありません。
城攻めラン、
史跡めぐりラン、
合戦シミュレーションランなど、さまざまなバリエーションがあるのも人気の秘密。中でもぜひ試してみたいのが「
古地図ラン」です。
古い時代の地図を片手にランドマークをめぐり、現在の様子と見比べながら「昔はこんな建物が建っていたのか」としみじみ感慨にふける古地図ラン。
今回実践したのが「
明治42年の名古屋にタイムスリップRUN」です。なぜ
明治42年かというと、たまたま会社の倉庫に当時の古地図(
名古屋市街図)が眠っていたから。

では、さっそくスタート!弊社は
千種区の池下に位置していますので、まずは広小路通経由で隣町の
今池方面へと向かいます。
古地図によると、名古屋を東西に貫く「錦通・広小路通・桜通」の三大幹線道路のうち、
明治42年当時からあったのは広小路通(万治3年頃〜)のみ。ちなみに桜通は
昭和15年頃、錦通は第二次大戦後に整備されました。
さて、古地図の
今池あたりを見てみると、今も残る「千種」という地名は見て取れるものの、「
今池」という名前はどこにも見当たりません。

目をこらすと「
馬池」という池があるではないですか。そう、この
ウマイケが転じてイマイケになり、そのまま地名となったのです。

現在、馬池という池は残っていませんが、
今池交差点の南東に馬の
銅像が建っています。「どうしてここに馬の像が?」と疑問に思っていた方も多いのでは?

つぎは
名城公園にいってみましょう。
明治42年当時、まだ
名城公園なるものは存在していませんでした(
昭和6年開園)。
では今から105年前は何があったかというと、古地図によれば練兵場などの軍事施設が大半を占めていたようです。本丸があるところには「
離宮」の文字も。この頃はまだ“本物”の
名古屋城天守閣がそびえていました(昭和20年焼失)。

現在、ランナーでにぎわう北園の散策コースも、当時は兵士たちが日々鍛錬に励んでいた練兵場だったというわけです。

古地図を見ていて気づいたのが「
鶴舞公園」の文字。さっそく現地までラン。
明治42年当時はまだ
鶴舞駅は存在していなかったようですが、公園の敷地は現在とほぼかわりません。

じつはこの
鶴舞公園の開園は、くしくも古地図の発行年と同じ
明治42年。当時はできたてホヤホヤの公園だったのですね。

ついでに名古屋を南下し、
熱田区まで移動。さすがに
熱田神宮は2千年近く前からそのままですが、そのさらに南の堀川に「渡船」を表す記号が。

当時はまだ「渡り船」が現役だったということでしょうか。今ではこの七里の渡し、「宮の渡し公園」として整備されています。

さて、古地図片手にタイムスリップランはいかがでしたでしょうか。「古地図が手元にない」という方は、検索すればネット上で閲覧できたり、名古屋の古地図を集めた書籍があったりといろいろ手がかりがありますので探してみてください。