売木村専属ランナー 重見高好トークショーvol.1<崖を這い上がってきた男>篇。
長野県売木村(うるぎむら)専属ランナーとして活躍する重見高好さんのトークショー&ランニングセミナーに参加してきました。NHK「応援ドキュメント 明日はどっちだ」の番組中に“崖っぷちランナー”と紹介されていましたが、その生い立ちは崖っぷちどころか、まさに“崖下から何度も這い上がってきたランナー”というべき波乱万丈なものでした。
とはいえ、重見選手の人柄がなせる技でしょうか、トークショーの始めから終わりまで悲壮感はゼロ。挫折や苦労話も「ネタになってよかった」と笑い飛ばすあたりに大物の片鱗を感じました。
トークショーは重見選手と、主催者であるトライアーティスト代表・竹内鉄平さんとの対談形式で進行。
2013「サロマ湖ウルトラマラソン」準優勝、2013「神宮外苑24チャンレンジ」優勝(国内大会における日本人最高記録樹立)など、今をときめくウルトラマラソン界の新星・・・とは思えないほど純朴な語り口に好感が持てました。
そんな重見選手いわく、少年時代は「貧しいわけじゃないけど家が厳しくて何も買ってもらえなかった」のだそう。中学で陸上部に入ったのも「運動靴さえあればできる」という単純な理由から。
陸上部では当初、スプリンターのカッコよさにあこがれ短距離の選手に。しかし、なかなか勝てない悔しさから「毎日10km走った」といいます。
当然、距離を踏んだからといって短距離走が速くなるわけもないのですが、その一見“ムダな努力”のおかげで長距離走の才能が開花。
長距離に転向してからメキメキと頭角を表し、スポーツ特待生として高校進学を決めるほどの有望選手となりました。そのままいけば順風満帆な陸上エリート人生が開けていたものの、ここで第一の挫折が・・・。
本人曰く、「中華料理店のバイトに打ち込みすぎて特待取り消し」になってしまったのだとか・・・。親御さんからも「お前、出てけ」(本人談)と言われ、高校に在学している価値も見出せなくなり自主退学。ますます中華料理店のバイトにのめり込み、一時は中華の鉄人を目指すことに。
そんなある日、ふと鏡を前にしたとき「自分とは別の誰かを見た」といいます。そこには、中華料理店のまかないが美味しくて食べ過ぎた結果、ぶくぶくと太った自分の姿がありました。
「これはいかん」と、ふたたび走ることを決意。東海地区を代表する某実業団に「入りたいんですけど」と電話でいきなり直談判した際、初めて「高校を卒業していないとどこの実業団も採用はしない」という現実を知るのです。
やると決めたら即行動に移す重見選手。自己流のトレーニングを重ねながら、通信制で高校課程を修了。みごと実業団入部への第一ステップをクリアしたのです。
最初に入部したのは東海エリアの老舗名門チーム「中央発條陸上競技部」でした。「陸上だけでなく、挨拶からご飯の食べ方まであらゆることを教わった」このチームには、今でも感謝の気持ちしかないそうです。
中央発條ではエース級の一角を占めるほどの実績を残しましたが、次第によりレベルの高い関東・関西地区で勝負したいと考えるようになりました。「腰掛け的に続けていてはかえって失礼」と考え、行き先も決まらないうちにキッパリと中央発條陸上競技部を退部。
自ら退路を断って覚悟を決め、まずは関東の有力チームに電話攻勢で自己アピール作戦を敢行。しかし、「14分台では厳しい。せめて13分台を出してからもう一度連絡を」と、事実上の“門前払い”が続きました。
そんな中、重見選手の将来性とやる気を買って迎え入れてくれたのが関西の名門「大阪ガス陸上競技部」でした。
大阪ガスでは、最初の数年こそ記録も伸びていきましたが、いつしか頭打ちに。それでもなんとか走り続けていたものの、プレッシャーからなのか「吐いちゃう病気」(本人談)にかかり競技からの引退を決意。
退部後は大阪ガスの一職員として働くことになりました。NHK「明日はどっちだ」では、この引退を「戦力外通告」としていましたが、真相は「自己都合」だそうです。
競技から遠ざかっていたある日、ふと鏡を見ると、そこにはぶくぶくと太った自分の姿がありました・・・どこかで聞いたような話ですが、自分の姿にショックを受けて三たび「走る」ことを決意。
とはいえ、もともとマラソン志向だったこともあり、駅伝中心の実業団は「お腹いっぱい」(本人談)。そのとき頭に浮かんだのが「ウルトラマラソン」という言葉でした。
「フルマラソンを3分で押していける自信はないけど、キロ4分で100kmなら自分にも世界を狙えそうだ」と考え、ターゲットをウルトラマラソン(100kmマラソン)に。
退路を断って自らを追い込むため、安定した暮らしが約束された大阪ガスを円満退社。貯金を食いつぶしながら、まずは単独での高地トレーニングを実施するための候補地を探しました。
「高地=高いところ・・・この辺りで一番高いのは茶臼山・・・そうだ、茶臼山に行こう!」という論理でたどり着いたのが、茶臼山山麓に広がる売木村(長野県)。
独自の交渉術により「20日で2万円」という破格の値段でペンションに滞在し、単独トレーニングを敢行。その甲斐あって、サロマ湖ウルトラマラソン(2012)では初参戦で3位入賞。
手応えを感じた重見選手は再び20日2万円で売木村に滞在。人口600人の小さな村ですから当然ウワサは広まり、「誰だあいつは」と注目のマトに。
村のマラソン大会で売木村一番の健脚を誇る「若旦那」との激闘を制するなど、その存在感をさらに高めていきます。
そんな折、売木村村長から「売木村地域おこし協力隊」への参加を打診され、村に恩返しがしたいと考えていた重見選手は快諾。そして現在に至ります。
2012年・2013年の2年連続で100kmウルトラマラソン世界選手権日本代表の座を勝ち取りながら、2012年は大会自体が中止、2013年は開催地の情勢不安で派遣見送りとアンラッキーが続いたものの本人はいたって前向き。
11月9〜10日にかけて開催された「第8回神宮外苑24時間チャレンジ」の24時間走部門では、初挑戦ながら新記録を叩き出して優勝。しかも、練習で走った最長時間はわずか5時間というからオドロキです。