東海道の主要な宿場町だった「掛川」を旅ランしてきました。掛川は名古屋から新幹線で40数分と近いにもかかわらず、訪れたのは今回が初めて。いったいどんな街なのか期待がふくらみます。
耐震工事中の掛川駅(北口)をスタートして、まずは掛川城へと向かいました。 駅前から南北に広がる繁華街。掛川のメインストリートでしょうか。東西にも屋根つきのアーケードが伸びていましたが、人通りは少なめ。
北へ進むに連れて、だんだん城下町っぽい雰囲気に。そしてほんの500mほどで掛川城公園の入り口に到達。駅からあまりにも近いので拍子抜けしてしまいました。
ともあれ、掛川城見物は今回の旅ランのメイン。まだほとんど走っていませんが、入城料を支払い城内へ。
一般的に、その時々の為政者の意思によって城の主(城主)は頻繁に入れ替わるもの。たとえば大坂城は「秀吉の城」というイメージですが、実際は徳川家が支配下においていた時期の方が圧倒的に長いのです。
プロモーションの上で得策だという現代人の計算により、「大坂城=秀吉の城」というイメージを作り上げているわけです。 そうした意味で掛川城は歴代城主の誰を「推しメン」ならぬ「推し城主」に据えているのか興味がありましたが、予想通り山内一豊でした。
掛川城を築城した朝比奈氏はマイナーすぎるし、土佐に“転勤”した一豊の後を受けた歴代の藩主たちもいまいちパッとしない。 必然的に、歴史上“全国区”の知名度を誇る山内一豊が掛川城の顔に選ばれるのは当然といえるでしょう。
掛川城の天守は復元ながら、大阪城や名古屋城のように無味乾燥な鉄筋コンクリート造りではなく立派な木造建築。 このため、とくに建物内部は松本城や犬山城を彷彿とさせる渋みにあふれ、現存天守だといわれてもうなずける風格を醸し出していました。
さて、天守の隅々まで観覧していたらランニング中であることを忘れてしまいました。掛川城公園を後にして、逆川の遊歩道を東へ。
程なくして立派な門が見えてきました。平成7年に復元された「大手門」で、手前の建物は大手門番所。周辺には歴史を感じさせる町並みが広がっています。
その後、東海道新幹線に沿って東へ走り、ヤマハリゾートつま恋を折り返して掛川駅に戻ってきました。
総距離10km足らずのプチ旅ランでしたが、城下町掛川の歴史情緒に触れることができて満足です。やはり、旅ランには城攻めがかかせません。