ときに辛い体験から人を救うランニングの力。
走りはじめるきっかけは人ぞれぞれ。ポピュラーなのは「ダイエット」や「健康維持」のため・・・といったところでしょうか。意外に多いと思われるのが、「辛い経験を忘れるために走りはじめた」という方。心当たりはありませんか?
代表的な例では失恋、離婚、近しい人との離別など・・・。ランニングに打ち込むことで辛さを忘れ、明日への活路を見出すというパターン。
中には「娘が亡くなっていくときの苦しみを体験したい」、という悲愴なきっかけで走りはじめた人もいます。
2005年、熊本県のある会社員の方が、娘さんを生後わずか2日で病気により亡くしました。
『集中治療室で医師が話した言葉が心から離れなかった。「娘さんは今、マラソンで最後の一番きついところ、一番苦しいところで頑張っていますよ」』(読売新聞)
娘さんは結局、翌日の午後に息を引き取ったそうです。生死をさまよっていたときの娘の苦しみを知りたい。そんな思いでジョギングをはじめ、2年後、フルマラソン(いぶすき菜の花マラソン)に出場。
「娘の苦しみを味わう」ために出場したフルマラソン。どのような思いで42.195kmを走ったのか想像もできません。
ところが、6時間30分あまりでゴールしたそのとき、『じわじわと味わったことのない何かを感じた。』のだそうです。
その後、会社員の方はランニングクラブに入るなど本格的にランニングを開始。今ではフルマラソン出場回数が20回を超えるまでになりました。
悲壮な決意と思いでのぞんだ初フルマラソン。ゴール時に感じた「味わったことのない何か」とは、いったいどのようなものだったのでしょう。
深い悲しみに打ちひしがれた人をも前向きにさせるマラソン(ランニング)の力。市民ランナーの皆さんなら、なんとなくわかるのではないでしょうか。
■『』内太字はYOMIURI ONLINE(読売新聞)「[私は走る](上)娘の苦しみ 知りたくて」より。