札幌ハーフで感じた選手の闘志と実況の距離感。

昨日行なわれた「札幌国際ハーフマラソン」。ロンドン五輪ラソン代表の藤原新選手(ミキハウス)と岡本直己選手(中国電力)のデッドヒートは、思わずイスから身を乗り出してしまうほどエキサイティングでした。久々に闘争心むき出しの日本人ランナーを見た気がします。しかしそんな賞賛すべき選手たちとは裏腹に、なぜか釈然としない違和感をおぼえました。 aratafujiwara.jpg その理由は「番組づくり(実況とそれに流され気味だった解説)」にあります。ケニア勢から離され、結果6位の藤原選手を「万全」だ「収穫」だと、とにかく褒める持ち上げる。で、決まり文句の「日本人1位」・・・。 ちょっと待ってください。藤原選手は何者でしょうか。そう、オリンピック代表です。いまさら日本一をめざしているのではありません。世界最高峰の舞台で戦う選手です。 もちろん今回は調整レースに過ぎないので順位にこだわるのはナンセンス。(そのわりにマスコミはこぞって「日本人最高の6位」とか「国内最強」などの見出しを踊らせていますが・・・) しかし、2時間3分台〜4分台が持ちタイムのアフリカ勢がごろごろいるなかで、データ上では“勝負にならない”日本人選手があわよくば入賞圏内に食い込む可能性があるとすれば、それはどのようなケースなのか。 せっかく五輪直前に代表選手が2人も参戦したのですから、こうした視点から解説を加えてほしかったと思うわけです。通常のマラソン中継と同じような内容(実況と解説が)だったのはちょっと残念でした。 しかも解説の増田明美さん高橋尚子さんともにオリンピック経験者。それぞれが考える「藤原入賞の可能性」をレース展開とともに聞かせてほしかった。というか、聞いてほしかった・・・。 もしかしてケニア勢は別格」という視点で番組づくりを行っていたのでしょうか。それでは選手に対して失礼です。藤原選手はきっと「やってやる!世界を驚かせてやる!」という並々ならぬ気概を持って取り組んでいるはずですから。 『ケニア!彼らはなぜ速いのか』(文藝春秋)の著者、忠鉢信一さんがランニング学会の講演で陸上関係のお歴々を前に言い放った、「日本人1位に何の意味があるんですか?」という言葉を思い出します。 一時期低迷した日本の競泳陣を立て直し、今日のような「世界トップレベル」にまで押し上げた日本水連の背水の策。それは「世界で戦えない(表彰台に上がれない)選手は、たとえ五輪に出場できるレベルであっても派遣しない」という方針。これにより選手の意識はつねに「世界」へ向けられ、水泳王国ニッポンの復活を果たしたのです(忠鉢さん講演より)。 とはいえこれを陸上、ことさら“ドル箱コンテンツ”であるマラソンに置き換えることは、さまざまな大人の事情で困難でしょう。 あ、誤解しないでください。私は藤原選手の大ファンですから、オリンピックでは絶対に入賞してほしいと願っています。アフリカ勢の何人かが表彰台圏内から外れて「心が折れた」場合、メダルの可能性だってあると本気で思っています。 いささか話が逸れました。さて、札幌国際ハーフ。女子では赤羽有紀子選手(ホクレン)が前半のアクシデント(右足の張り)を乗り越え、見事な猛追で5位入賞。「あきらめない気持ち」が画面からひしひしと伝わってきました。 最後に、優勝したマーティン・マサシ選手(スズキ)と伊藤舞選手(お大塚製薬)、おめでとうございます!