本当に「子どもは走ることが嫌い」なのか!?

とどまるところを知らない空前のランニングブーム。しかしそれは「大人」の世界の話。では子どもたち(小・中学生)にとって、「ランニング」とはどのような位置づけなのでしょうか。このことについて、ランニング学会が発行する「ランニング学研究 VOL.23」に興味深い論文が掲載されていました。 kodomorun.jpg まさか「ランってオシャレよね」と、女子小学生の間でランファッションが流行っているとは思えませんが、私たちが子どもの頃に感じた「走る=苦しい、ツライ」という認識は今の子どもにもあるのでしょうか。 岐阜聖徳大学教育学部 佐藤善人准教授は自らの論文『義務教育期における「長い距離を走る運動」の問題点の検討』の中で、『小学校や中学校で持久走や長距離走を毎年数時間かけて実践しているにもかかわらず、休み時間に誰もジョギングをしない』と疑問を投げかけています。 言われてみれば・・・。休み時間や放課後、サッカーやハンドベースに興じる子どもたちはイメージできても、「みんなでジョギングしようぜ!」なんて言いつつ自主的に(遊びの一環として)まちを走っている子どもなど想像できませんし見たこともありません。 佐藤准教授によると、「持久走は好きですか?」という質問に対し、小学1年生〜5年生までは「好き」と答えた子どもの方が「嫌い」よりも上回ったそうです。 ところが、小学6年生以上になるとその回答が逆転。『あるきっかけを境にして、子どもの多くは持久走を嫌いになる傾向がある』とのこと。そのきっかけの一つが「体育授業」だと指摘。 『多くの教師の中には、子どもは長い距離を走る運動が嫌いであり楽しめないという共通した認識がある』とも。つまり教師側が「子どもは走るのが嫌い」という先入観を持っているということでしょうか。 こうした背景から子どもが『長い距離を走る運動を嫌いになる理由』として、佐藤准教授は『1.教師と児童・生徒の長い距離を走る運動に対する意識のズレ』、『2.体育授業実践の問題点』の2つを挙げています。 小学校では長距離を走ることを「持久走」といい、主な目的は「体つくり運動」。『しかしながら、』と佐藤准教授。『日頃元気な子どもたちは「健康づくりのために持久走をしましょう」と言われても必要感は湧きません。ましてや「将来のために必要だから」と説明されても、ますますピンとこないはずです』と指摘。 なるほど。「健康のため」とか「将来のため」と言われても、子どもにとってそれはまったく魅力的ではないし、「意味がない」に等しい言葉なのかもしれません。「意味がない」のになぜか校庭をぐるぐる走らされている・・・そりゃ嫌いになるってものです。 佐藤准教授は「少しの工夫で子どもの自発性を引き出す」実践例として、ある小学校の「校長先生と走ろう」という取り組みを紹介しています。この小学校では、校長先生自ら休み時間や放課後に校長先生が校庭に出て走るのだそうです。 すると、1人、また1人と、面白がって校長先生の後を追いかけて走る児童が増えていき・・・気がつくといつのまにか「持久走」になっているという事例。子どもたちは「走らされている」わけではなく、あくまでも自主的に走ることを楽しんでいるというわけです。 結びとして佐藤准教授は、『我々は児童・生徒に「持久走」や「長距離走」を教えるのではなく、長い距離を走る運動の多様な行い方・楽しみ方こそ指導すべきではないでしょうか。そのつみかさねにより、近い将来、休み時間を利用して気持ちよく走る児童・生徒の姿を見ることができるようになるかもしれません』・・・と結んでいます。 「学校終わったらインターバルな!」なんて極端な子どもはいないと思いますが、せめて私たち世代のように「走る=罰」というトラウマだけは植えつけてほしくないものです。