午前4時。いまだ薄暗い早朝の岩手の地でレースに参加しているという非現実的な体験。高揚感と不安が入り混じるなんとも不思議な感覚のなか、とてつもなく長い旅路への扉が開かれました。
吉本の宮川大助さんによる号砲でスタートした「いわて銀河100km」。スタート直後はみんな雄叫びをあげるなど元気いっぱい。
陸上競技場を出ると、しばらくは運動公園の敷地内を4kmほど走ります。
公園から出るころにはすっかり明るくなっていました。写真は景色がオレンジがかって夕方のように見えますが、朝焼けです。しばらくFUNRUN758のメンバーと並走していましたが、いつのまにか離れてしまいました。
6.2km地点の第一エイド。いわて銀河のエイドは大小あわせて20ヵ所あり、いずれも食べ物が多彩に充実。距離が進むにつれて、エイドが極楽浄土に見えるほどありがたい存在になっていきました。
駅伝の部の第一中継所(10km過ぎ)付近でたむけんさん発見。気さくに手を振ってくれました。
公約通りサングラス&ふんどしの定番スタイルで吉本☆ナショナルチームの第一走者を務めたそうです。 序盤から35kmぐらいまではキツい起伏もほとんどないため、ついつい軽快に走りすぎてしまいます。
30km地点ぐらいまではおおむねキロ5分30秒で推移。 「どんなペースで行っても必ずどこかで脚は終わる。だったら脚があるうちにできるだけ距離を稼ごう」・・・なんて、単なるオーバーペースを正当化することばかり考えてしまいました。
やはり心の中に「焦り」があったのかもしれません。 事前に想定していた「脚終了地点」は70kmでした。これは本番2週間前の練習で行った60km走からの感覚です。とにかく70kmまでひっぱれるだけひっぱり、後は精神力で乗り切るというおおざっぱな計画で挑みました。
ところが!70kmどころか早くも35km地点で脚に疲労を感じ始めてしまったのです。「え!?これはまずい・・・」疲労の感覚からいって、まともに走れるのは残り20kmと予想しました。
完全に脚が終わってから走り続けることはフルマラソンでは毎回経験しています。しかし、フルの場合は残り数キロ、失敗レースでもせいぜい15kmほど。先が見えているだけに精神力で乗り越えられます。
ところがウルトラの場合、仮に60kmで完全に脚が終わってしまった場合、残りは実に40km・・・。そう考えると暗澹たる気分になりました。 「どうして35kmの壁が?なぜ!?」そのときは少し混乱していたのかもしれません。
なぜなら、フルマラソンのレースペースより1分も遅いペースで刻んでいるにも関わらず、いわゆる「35kmの壁」を感じてしまったのですから。 おまけに35kmから57.5km地点まで、本格的な上りが延々と続きます。「銀河なめとこライン」手前のスペシャルエイド(35.4km)で酢飯や梅干しなどをいただいて英気を養い、仕切り直しのつもりでストレッチ。
残り65kmという距離はあまり意識せず、「走れる喜び」「走れるありがたさ」だけを考え、目の前の坂に挑むべく再スタートを切りました。 次回(20日)はレース篇の後半をお届けします。