大垣駅 ─ 東京駅間を結ぶ夜行列車(寝台列車ではない)「ムーランイトながら」が昨年3月29日をもって廃止されました。同列車はかつて「大垣夜行」と呼ばれており、この時代に1回だけ乗車したことがあります。当然、昭和時代。高校生でした。
当時の記憶は曖昧ながら、鮮明に覚えているのは深夜の停車駅で購入した駅弁。車窓越しか下車して購入したかは定かでありませんが、「夜行列車に乗り、真夜中の停車駅で駅弁を買う」というロマンあふれる体験は、今でも強い郷愁とともによみがえるワンシーンです。
かつて高校生の自分が乗車した大垣夜行の後継であるムーンライトながら。その廃止のニュースを見聞きし、何十年ぶりに思い出がよみがえったわけですが、ふと「駅弁を買ったのはどこの駅だったのか」という疑問がわきました。
大切な思い出のワンシーンですからはっきりしておきたいところ。そこどで調べてみました。調べた、といってもWikipediaを見ただけですが。
とにかく・・・Wikiによると、「大垣夜行」という通称が使われ始めたのは1968年頃。ピークシーズンは区間により「ラッシュ時の通勤列車並み、もしくはそれ以上」といいますから、かなりの盛況ぶりだったことがうかがわれます。
やがて時代は移ろい、夜行バスや格安航空会社が台頭。ムーンライトながら(大垣夜行)の存在意義は徐々に薄れていくことに。そして昨年、コロナ禍の中ひっそりとその役割を終えたのです。
さて、本題の「駅弁を購入したのはどこの駅だったか」ですが、答えはあっさり見つかりました。Wikiの中に「深夜の静岡駅では1990年代初頭まで駅弁の立ち売りがあり」という記述を発見。
青春の原風景の一つとして私の脳裏に刻まれてるワンシーンの舞台は「静岡駅」であることがわかりました。スッキリ。しかも「小ぶりの幕の内弁当1種類のみの販売であったが、それでも売れ残りではなくこの列車のために調製されたものであった」(Wiki)とのことで、大垣夜行に乗車しなければ食べられない貴重な弁当であったことも判明。
当時、大垣夜行で東京に何をしに出かけたのかまったく憶えていません。ただ、朝4時台に東京駅に到着し、静まり返った構内で途方に暮れたことだけは、いい思い出として記憶に残っています。
■大垣夜行(Wikipedia「ムーンライトながら」より)