「開催」で得るもの。「自粛」で得るもの。
各地のマラソン大会が、開催か否かで大きく揺れています。20日に開催予定だった板橋Cityマラソンは、現在の首都圏の状況を鑑み早々に中止を決めました。これについては致し方ない面もありますが、巨大地震の影響を直接受けていない地域の大会まで開催を自粛するのは残念な気がしないでもありません。なぜなら・・・
◎経済活動を停滞させないため、あらゆるイベントは開催すべき?
マラソン大会(とくにフルマラソン)のように大きなイベントが中止になるということは、宿泊・食事・交通・お土産、さらには会場で集めることができた義捐金など、本来消費されるはずだったお金が動かないことを意味します。
大震災の復興には今後、途方もない長い年月と莫大なお金が必要であることは容易に想像がつきます。だからこそ、どんよりと蔓延する自粛ムードから一刻も早く脱し、経済活動を今以上に活性化させて少しでも早い復興を後押ししなければなりません。
「罪悪感」「無力感」に打ちひしがれているヒマがあったら、日々の仕事を被災地の分まで2倍こなし、積極的に消費しまくることが被災者ではない私たちに「できること」だと確信しています。もちろん可能な範囲内での継続的な寄付もね。
マラソン大会に限ったことではありませんが、あらゆるイベントは物理的・状況的に困難な場合をのぞき開催すべきだと思います。「○○○開催中止」という報に触れるたび、日本全体がますます暗く沈んでいくようでやりきれない思いにかられます。
中には「中止でいいからエントリー料を義捐金に」という声もあります。まったくもってまっとうな意見だと思いますし、可能であれば大賛成です。
しかしながら、マラソン大会は開催当日のはるか以前から準備が進められており、開催日の2〜3週間前ともなればすでに経費の大半は使ってしまっているはず(発注済み、あるいは納入済み)。
イベントの規模が大きくなればなるほど準備にはあらゆる業種の会社がからんでおり、その多くが中小〜零細企業。「イベントが中止になったからお金払えません」は通用しないのです。
私自身も広告企画制作会社としてイベント関連の仕事をさせていただくこともありますが、「中止=不払い」では危険すぎて最初から受注できません。たった一案件の不払いだけで倒産に追い込まれてしまうことだってあり得ます。
逆にいえば、運営側はたとえイベントが中止になろうと各種費用の支払い義務はキッチリ残ります。それに加え、本来地元に落ちるはずだったお金が落ちない・・・。踏んだり蹴ったり。こうした状況がいま、各地で発生しているのです。
賢明なランナーはそのあたりのことは心得ていて、不可抗力で中止になったマラソン大会にエントリー料の返還など求める人はまずいません。「まぁ、しょうがねえな!」って感じです。
だからこそ今回、板橋Cityマラソンが「エントリー料の返金(決定ではない)」に言及したのには驚きました。おそらく、前回大会も強風により中止になっていますから、参加者に対する「申し訳ない」という気持ちが強いのかもしれません・・・。
しかも板橋City事務局は給水用のミネラルウォーターなどを被災地に送ったそうです。2回連続で中止となり未だ出場を果たせていませんが、「血の通った大会」であることはじゅうぶん伝わってきます。
◎とはいえ、開催の可否は地域の方々の心情が最優先。
開催か否かで揺れているといえば、4月の「長野マラソン」です。名古屋国際女子マラソンの代替大会になることが本日発表される予定でしたが、代替どころか開催自体を判断しているもよう。
背景には、同県北部 栄村をはじめとした被災状況があるのかもしれません(ほとんど報道されませんが、家屋の倒壊も多いようです)。しかし、このまま長野マラソンが「自粛」されれば、長野市やその近郊にいたるまで満室状態のホテル・旅館は大打撃をこうむるでしょう。
地域に落ちるはずだったお金が落ちない。このことが、同県内の被災地復興を間接的に遅らせることにつながってしまうとしたら・・・。「開催して得るもの」はイメージできても、「自粛して得るもの」がどうしても思い浮かばないのです。
とはいえ、マラソン大会は他のイベントと異なり「地域のコンセンサス」がとても大切。沿道の方々の中に「自粛せよ」の声が多ければ従わなければならないでしょう。長野に限らず、「開催or自粛」いずれの結果になっても事務局(地域)の決断は尊重すべきだと思います。
結論がぼやけましたが、まあ、そんな感じです。