東京マラソン2011を実走取材してきました。2008年以来、2度目の参戦となります。「もう一度あの場所に立てる」と決まった瞬間から、この日を指折り数えて待っていました。
第5回という節目。そして「東京マラソン財団」として初の開催となった「東京マラソン2011」。そこには、運営、ボランティアの奮闘、沿道の応援・・・すべてにおいてバージョンアップした、国民的大イベントの姿がありました。
◎3万6千人+沿道の大群衆を満足させる見事な運営。
東京マラソンの素晴らしさを挙げるとするなら、「都会の真ん中を走れる」「絶え間ない沿道の応援」「運営の素晴らしさ」・・・といったところでしょうか。ただ、これらの点については当てはまる大会が他にないわけではありません。 東京マラソンが他の都市型大会と異なる最大のポイントは、そのスケールもさることながら、高度にシステム化・組織化された運営(良い意味で)にあると感じています。
とにかくソツがない、スキがない、グダグダにならない。同規模(3万6千人)のイベントなら、たとえばコンサートやスポーツ(観戦)などいくらでもあるでしょう。 ただこれら観覧するだけのイベントは、乱暴な言い方をすれば、入退場時以外は「座らせておけばいい」わけです。管理としては比較的たやすい・・・のかどうかわかりませんが、東京マラソンの場合は同じ3万6千人でも一人ひとりの「やること(動線)」の多さが単なる観覧イベントとは比較になりません。
当日だけでも入場時のチェックから始まって着替え、ウォーミングアップ、トイレ、荷物預けと、選手もスタッフも大忙し。しかも人の移動距離は42キロと桁外れ。とりわけ観覧イベントと決定的に異なる点は、3万6千人全員が、ひとつ間違えば「命を落とす」行為に夢中になっていることです。
もちろん沿道にあふれかえる、選手の数の何倍ものギャラリーをケアする必要もあります。これらのことを考えると、東京マラソンのスムーズでソツのない運営が奇跡にすら思えてくるのです。当然、ホスピタリティが伴っていることは付け加えておかなければなりません。
私は2009、2010年大会は出場を逃していますので、このレポートではどうしても「2008年大会との比較」という視点になってしまうことをご了承ください。 さて、今回の東京マラソン2011。3年前に比べると、かなりの点で改善や変更点が見られました。たとえばスタート会場への入場。
2008年大会のときは、ナンバーカードさえ見せれば事実上どこからでも会場内に入ることができました。 しかし今回は入場ゲートが限定(1箇所?)され、ナンバーカードのみならず計測チップの提示まで求められました。これは以前、カラーコピーによる偽造ナンバーカードで出走した者が発生したことに対する“偽ランナー対策”であると思われます。
こうした不正を許さない徹底した取り組みもまた、選手たちに安心感を与えると同時に、東京マラソンの「クオリティ」「ブランド力」を高めているような気がします。
明日はvol.2「レース編」をお届けします。「いびがわ」「奈良」と自己ベストを連発し、満を持して3時間20分切りに挑んだ東京マラソン。果たして結果やいかに!